パワーリフティングの起源・発展からトレーニングまでの総合解説
起源と国際的発展
パワーリフティングは20世紀中頃、イギリスとアメリカ合衆国で1950年代に近代スポーツとして成立しました。
当時はウエイトリフティング(オリンピック競技の重量挙げ)全盛でしたが、バーベルを使った他の種目による「ストレングス競技」が各地で行われていました。
イギリスではベンチプレス・スクワットに腕立て伏せのようなカールを加えた「ストレングスセット」という種目がありましたが、1960年代半ばにデッドリフトが加えられ、現在のパワーリフティング(三種目)に移行しました。
アメリカでは1964年に非公式の全米大会が開催され、1965年にはアマチュア体育連合(AAU)主催で初の公式全米選手権が開催され、スクワット・ベンチプレス・デッドリフトの三種目が正式に競技リフトとして採用されました。重量階級も当初はオリンピック重量挙げと同じ階級区分が用いられましたが、その後242ポンド級(約110kg級)の新設など拡張が行われました。
1960年代後半には国際交流も始まり、1968年にイギリス対フランスの対抗試合がブリストルで行われ(当時フランスはデッドリフト無しの種目構成でした)、1969年に英仏再戦、続いて1970年にはロサンゼルスでイギリス対アメリカの対抗戦が実現しました。
この流れの中、1971年11月に米国のボブ・ホフマン(Yorkバーベル社の創始者)がペンシルベニア州ヨークで「ホフマン誕生日記念大会」として実質的な世界選手権を開催し、1972年11月には各国代表が集まってペンシルベニア州ハリスバーグで国際パワーリフティング連盟 (IPF) の創設会議が行われました。
IPFはこうして1972年に発足し、翌1973年11月に第1回公式世界選手権大会(男子)が開催されました。
以降、パワーリフティングは世界各地に普及し、IPF主催の世界選手権や各地域選手権が毎年開催される国際競技へと発展していきます。
国際団体とストロングマンとの違い
現在、パワーリフティング界には複数の国際統括団体が存在しますが、最も権威ある団体が国際パワーリフティング連盟 (IPF)です。
IPFは前述の通り1972年に設立され、世界規模の大会運営と統一ルールの整備に努めてきました。IPF公認大会ではドーピング検査が厳格に行われ、用具もIPF承認品のみ使用可、2時間前計量など厳しい基準があります。
装備もシングルプライのサポートスーツやベンチシャツ(装備部門)あるいは装備なしのクラシック部門(いわゆるノーギア、ベルトとニーサポート程度)に区別され、公正な条件下で世界記録が管理されています。
一方、IPFから分裂・派生した主要団体としてWPC (World Powerlifting Congress)があります。
WPCは1986年にアメリカの名選手アーニー・フランツによって設立された団体で、現在46か国が加盟し毎年世界選手権を開催しています。
WPC系列では複数枚重ねの高機能なスーツやシャツ(マルチプライ)やニーラップの使用が認められ、ドーピング検査もIPFほどは厳しくありません。
また計量も大会前日の24時間前計量を採用するなど、競技環境に違いがあります。
WPC以外にも、近年はWorld Powerlifting(オーストラリア中心に設立)や、プロ大会を開催するWPO (World Powerlifting Organization)、各国独自の連盟など、いくつかの団体が並立しています。
それぞれ微妙に規則や装備区分が異なるものの、基本となるスクワット・ベンチプレス・デッドリフトの3種目で最大重量を競う競技である点は共通しています。
パワーリフティングとよく比較される競技にストロングマンがあります。
ストロングマンは世界最強男決定戦(World’s Strongest Man)に代表されるように、重い物を持ち上げたり引っ張ったり運んだりする多彩な種目で総合的なパワーを競う競技です。
具体的には、丸いアトラスストーンを持ち上げ台に載せる、トラックや飛行機をハーネスで引く、重い農耕具や重りを担いで走る(ヨークキャリー)、丸太の形をしたバーベルでの肩から頭上への挙上(ログリフト)等、競技会ごとに種目が複数設定され、タイムや回数も含めた総合成績で争います。
一方のパワーリフティングはスクワット・ベンチプレス・デッドリフトの3種目をそれぞれ3回ずつ試技し、その最高成功重量の合計で競います。
ストロングマンでは重量挙上だけでなく持久力や瞬発力も問われ、種目も大会によって変わるため、よりオールラウンドな怪力が求められる点で、特定の挙上種目の最大重量を追求するパワーリフティングとは異なります。
またストロングマンでは握力の負担軽減のためにストラップ(手首とバーベルを繋ぐ布帯)の使用や、デッドリフト時の体を反らせる「ヒッチング」も許容されるなど、用具やフォームの規制もパワーリフティングとは大きく異なります。
両者はしばしば混同されますが、それぞれ独自の団体と競技文化を持つ別個のスポーツです。
ただし共通点も多く、パワーリフティング出身でストロングマン大会でも活躍した選手も存在します(例えばビル・カズマイヤーはパワーリフティング世界王者の後にストロングマン世界大会を3連覇)。
逆にストロングマンのトップ選手がパワーリフティング公式記録に挑戦することもあり、両競技はお互い刺激を与え合っています。
主要な国際大会としては、IPF主催の世界選手権(男女別・各年代別)が最も格式高く、他にワールドゲームズ(4年ごと、IPF公認)、各地域連盟(ヨーロッパ・アジアなど)の地域選手権があります。
WPCや他団体もそれぞれ世界選手権大会を開催していますが、競技レベルや参加国数でIPFが群を抜いており、「パワーリフティング世界一」を決める場として認知されています。
日本における歴史と普及

日本にパワーリフティングが紹介されたのは1964年の東京パラリンピックでの障がい者ベンチプレス競技とも言われますが、一般健常者の競技としては1965年(昭和40年)5月に東京で開催された第1回関東学生パワーコンテストが初の大会でした。
その後、1972年(昭和47年)4月に日本パワーリフティング協会 (JPA) が創設され、同年に第1回全日本パワーリフティング選手権大会が開催されています。この第1回全日本選手権ではスクワット・ベンチプレス・デッドリフトの3種目を各1回ずつ試技する形式で実施されました。
JPAは1974年に国際パワーリフティング連盟(IPF)に加盟し、同年の世界選手権に日本代表が初出場しました。以後、日本からも毎年世界選手権に選手団が派遣され、1970年代後半からは全日本選手権のみならず各都道府県や学生・社会人の大会も開催され競技人口が徐々に増加しました。
日本国内では当初は知名度が高いとは言えませんでしたが、1994年にJPAが日本体育協会(現:日本スポーツ協会)に正式加盟し、1999年には社団法人格を取得して、公的にも「近代スポーツ競技」として認知されるに至りました。
普及の一つの節目として、1998年の神奈川国体および2002年の高知国体においてパワーリフティングがデモンストレーション競技として採用され、その後2014年長崎国体のデモスポ(公開競技)を経て、2015年の和歌山国体から正式な公開競技として実施されています。
これにより国内での認知度も高まり、全国レベルの大会が国体種目として定着しました。現在ではJPA傘下に各都道府県協会が存在し、全国各地で地域大会や全日本選手権(一般・学生・マスターズ・ジュニア・サブジュニア世代別)および全日本ベンチプレス選手権などが活発に開催されています。
国際舞台での日本勢の活躍も見られます。
特に軽量級において日本人選手は強く、因幡英昭選手は男子最軽量級(52kg級、旧56kg級)で1970年代から1990年代にかけてIPF世界選手権優勝17回という偉業を成し遂げ、IPF殿堂入りも果たしています。
この17度の世界一という記録はIPF史上最多であり、10連覇を含む伝説的なものでした。
近年でも日本の女子選手を中心に世界選手権で優勝・上位入賞する例が増えており、パワーリフティングは日本国内でも着実に裾野を広げています。
3種目の規則とその変遷
パワーリフティングはスクワット(しゃがんで立つ)、ベンチプレス(仰向けに寝てバーベルを胸から押し上げる)、デッドリフト(床からバーベルを持ち上げ直立する)の3種目から構成されます。
それぞれ競技には細かなルールが定められており、試技は3人の審判により判定されます。現在の基本的なルールをまとめると、以下のようになります。
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スクワット
バーベルを肩で担ぎ、審判の合図でしゃがみ始めます。腰を十分深く落とし、股関節の位置が膝の位置よりも低くなるまでしゃがまなければなりません。
その後立ち上がり、ひざを完全に伸ばして静止した状態になってから審判のラック(戻せ)の合図でバーベルをラックに戻します。
試技中に深さが足りなかったり、途中でバーベルが降下したり、補助なしで立ち上がれないと試技失敗になります。
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ベンチプレス
ベンチ台に仰向けになり、肩幅より広いグリップでバーベルを握ります。
審判の合図でラックからバーを外し、腕を伸ばしたスタート姿勢で静止します。
主審の「スタート」コールを受けてからバーを胸までゆっくり下ろし、一度胸上で静止させます。
十分静止が確認されると主審が「プレス」の合図を出し、それに従いバーを押し上げて再び両肘を伸ばします。
最後に主審の「ラック」の合図でバーを所定のラックに戻して試技完了です。
動作中に胸で一瞬でも静止できなかったり、押し上げ途中にバーが下降してしまった場合、不正な尻上げ(ヒップのベンチシートからの浮き)や足の踏み替えなどがあると失敗判定になります。
なお近年はベンチプレスでアーチを極端に高く組み上げ、可動範囲を極端に短くする技術が問題視され、2023年からIPFでは両肘の下端が肩の高さ以下まで下がらないと失格とする新ルールが導入されました(極端なブリッジによる胸の突き上げを抑制する目的)。
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デッドリフト
床に置かれたバーベルを両手で握り、膝と背中を伸ばして体を起こしながらバーベルを引き上げ、完全に直立姿勢になるまで挙げます。
膝が伸び切り肩が後方に引けた状態で静止したら、主審の「ダウン」の合図を待ってバーベルを床に下ろします。
途中でバーベルを落としてしまったり、膝を伸ばしきれなかった場合、太ももにバーベルを乗せて休むような動作(ヒッチング)が見られた場合は失敗となります。
またデッドリフトではスムーズな挙上のために上位大会でもパウダーレジンや滑り止めスプレーが支給され、選手はそれを脛(すね)に塗ってバーが引き上げやすいようにするなどの工夫も行われます。
これらの基本ルールは国際的にほぼ共通ですが、一部団体によって細部が異なります。
たとえばIPF系ではスクワットでモノリフト(据え置きラックから歩かずに開始できる装置)の使用は禁止され、必ず自分でバーベルをラックから担ぎ出して数歩後退してから試技を開始します。
一方、WPCなど他団体ではモノリフトを用いて歩かずにスクワットを始めても良い場合があります。
またベンチプレスではIPFでは足裏全体を床につけなければならず足の位置変更も禁止ですが、団体によっては足先爪先立ちを許す所もあります。
計量もIPFは試技開始2時間前ですが、他団体では前日計量(24時間前)を採用し減量有利になるケースもあります。このような違いはありますが、「腰の深さは膝より下」「ベンチは一度停止」「デッドは合図まで下ろさない」といった基本は共通しています。
ルールの変遷についても触れておくと、歴史的にはいくつか興味深い変更があります。
例えば、1960年代のイギリスではまだデッドリフト競技が導入される前、スクワット・ベンチプレス・バイセップカールの3種目で争われていましたが、1960年代後半にデッドリフトが正式に加わり「パワーリフティング」と命名されました。
初期のスクワットでは「ボトムストップ」方式といって、選手はしゃがんだ状態で静止し審判の合図で立ち上がるという現在とは全く異なる方式が採られていたこともあります。
現在のように「スタートコールでしゃがみ始め、立ち上がったらラックコールで終了」という形になったのはその後の改良です。
またベンチプレスでは、かつて開始時にスタートの音声合図が無く、選手の好きなタイミングでバーを胸に下ろしていた時代もありましたが、安全管理と公正さの観点から開始合図(スタートコマンド)が追加されました(IPFでは2006年から導入)。
さらに近年話題となったのが前述のベンチプレスの新ルール(可動域確保のため肘の位置制限)で、2023年よりIPF公式戦に適用されています。
このように競技の公平性や安全性を高めるため、ルールも時代とともに見直しが行われています。
用具面でも大きな変化がありました。1970年代以降、記録向上のためにリフティングスーツ(厚手の補助用ユニタード)やベンチプレスシャツといったサポート器具が考案され、選手たちはそれらを積極的に導入しました。
これにより従来では考えられなかった高重量が挙がるようになりましたが、一方で「装備の性能による記録向上」がスポーツとして適切か議論も生まれました。その結果、2010年代からは装備を用いない(または最小限の)「クラシック(クラシカル)パワーリフティング」部門が普及し、IPFでも2012年から世界クラシック選手権(ノーギアの世界大会)を開催して装備有無を分けて競技するようになりました。
現在では原則として装備あり(Equipped)と装備なし(Raw/Classic)は別カテゴリーとして世界記録も管理されています。
また日本国内でも国体など公式大会では基本的にノーギア部門で実施されており、装備を使わないパワーリフティングが主流となっています。
科学的トレーニング方法の進歩

パワーリフティングのトレーニングは、長年の経験則に加えて近年はスポーツ科学の発展によりエビデンス(科学的根拠)に基づく手法が確立されつつあります。
基本原則は他の筋力トレーニングと同様、過負荷の原則(プログレッシブオーバーロード)にあります。
すなわち時間をかけて徐々に扱う重量や量を増やし、身体に適応を促すことです。例えば今週100kgで5回3セット挙げられたら、来週は102.5kgに上げてみる、といった具合に段階的に強度を上げていきます。
この漸進的負荷増大と、十分な休息による超回復を繰り返すことが筋力向上の王道です。
具体的なプログラムデザインにおいて重要な変数は強度(重量の重さ)・頻度(トレーニング頻度)・ボリューム(総挙上量やセット数)です。
これらの最適バランスはトレーニング経験や個人差によって異なりますが、研究による一般的な知見がいくつか得られています。
まず強度に関しては、高重量低回数のトレーニングが筋力向上には不可欠です。
メタ分析研究では、トレーニング経験を積んだ層では1回最大重量の約80~85%程度の負荷(概ね5~8回挙上できる重量)が最も効率的に筋力向上をもたらすと報告されています。
一方で未経験の初心者では60%程度の比較的軽めの負荷でも大きな筋力向上が得られるため、経験者ほど高強度が必要になるという漸進性も示唆されています。
頻度に関しては、上級者ほど週あたりの各種目の実施頻度を増やす傾向がありますが、頻度そのものよりも週間の総セット数(ボリューム)の方が筋力への影響は大きいようです。
例えば、ある研究では経験者男性を対象にスクワット・ベンチプレス・デッドリフトを週3回ずつ行うグループと週6回行うグループに分け、総セット数と強度は両群で同じになるよう調整して6週間トレーニングさせたところ、両群とも1RM(最大挙上重量)がほぼ同等に向上し、頻度を倍にしても成果に差は見られませんでした。
この結果は「頻度よりボリューム(セット数)の方が筋力向上に寄与する」傾向を支持するもので、実践上も週2~3回程度の種目頻度で十分と考えられます。
但し、頻度を上げて1回あたりのセット数を分散すれば各セッションでの疲労が軽減されフォーム練習量が増える利点もあるため、上級者では週4~6回に小分割してトレーニングするケースもあります。
いずれにせよ重要なのは週あたり・種目あたりに適切なセット数・ボリュームを確保することであり、一般には中級者で各種目週あたり6~12セット程度が目安とされています(初心者はそれ以下でも十分、上級者ではさらに高ボリュームに耐え得る場合もあります)。
ボリュームに関連しては、筋肥大(筋断面積の増大)が筋力にも貢献するため、筋肥大を促す高ボリュームトレーニングも取り入れられます。
高重量・低回数ばかりでは関節や中枢神経の疲労が蓄積するため、適度に中重量~中回数帯(例:1セット8~12回挙上できる重量)での筋肥大トレーニングを織り交ぜることも多いです。
研究でも、低負荷高回数でも高負荷低回数でも筋肥大効果は総仕事量次第で同程度得られることが示されており、パワーリフティング選手も補助種目では高回数のボディビルディング的トレーニングを行うことがあります。
トレーニング計画の手法としてはピリオダイゼーション(周期的計画法)が重要です。
これは長期的に強度やボリュームを操作し、段階的に筋力をピークにもっていく手法です。
古典的な線形ピリオダイゼーション(徐々に反復回数を減らし重量を上げていく方式)に対し、近年は日ごとに負荷や反復を変化させる非線形・デイリーベリーイングピリオダイゼーション(DUP)も多用されます。
研究によれば、日替わりで強度・回数を変化させるDUP方式は、週ごとに段階的に変える線形方式より筋力向上が大きい可能性が示されています。
12週間の比較実験で、DUP群はベンチプレスやレッグプレスの1RM向上率で線形群を上回る傾向を示しました。統計的な有意差は小さいものの、概ねピリオダイゼーションを採用した群は無計画に同じ負荷で繰り返す群より筋力向上が速いことがメタ分析でも報告されています。
こうした科学的知見を踏まえ、現在では様々な洗練されたトレーニングプログラムが考案されています。
代表的なものとして、ソビエト連邦の重量挙げ理論に基づく高頻度高ボリュームのシェイコプログラム、アメリカで生まれたウェストサイド方式(コンジュゲート法)による最大努力法・動的努力法の組み合わせ、カナダ発祥の5/3/1プログラム、自発的な疲労管理に基づくRPE(自覚的運動強度)を用いたオートレギュレーション(自動調整)法などが挙げられます。
例えばRPE法では、その日の調子に応じて「あと○回できる余裕」を指数化し、予定の重量を柔軟に増減させることでオーバートレーニングを防ぎつつ最適な負荷を追求します。
科学的アプローチは年々発展しており、最近ではリフティング中のバーの挙上速度を測定して疲労度や最大力発揮を推定するVelocity Based Training(速度基準トレーニング)も注目されています。
総じて、パワーリフティングの効果的トレーニングは「漸進的に重く・適切な量で・周期的に変化をつけ・十分回復する」ことに尽きます。
最新の研究は細部の最適化に役立ちますが、根底にある原理原則は不変です。
栄養(特に十分なたんぱく質摂取)や睡眠・コンディショニングも含めたトータルな準備が、長期的な記録向上には不可欠であることは言うまでもありません。
著名な選手と世界記録の推移
パワーリフティングはその歴史の中で数多くの名選手を生み出してきました。また、各時代で世界記録も大きく更新されてきています。ここでは国内外の著名なパワーリフターと、世界記録の推移について概観します。
エド・コアン (Ed Coan) – アメリカの伝説的パワーリフター。1980年代から90年代にかけて各体重クラスで数々の世界記録を打ち立て、「史上最強のパワーリフター」と称されています。
特に1998年の世界選手権では110kg級でトータル1,117.5kg(2,463ポンド)という当時のオールタイム世界記録を樹立しました。彼は生涯で70以上の世界記録を更新し、90kg級から125kg級まで複数階級で世界一となった驚異的な実績を持ちます。
ビル・カズマイヤー (Bill Kazmaier) – アメリカのSHW(スーパーヘビー級)選手で、1979~1983年にかけてIPF世界選手権を3連覇した後、ストロングマンの世界最強男コンテストでも3度優勝した異色の経歴を持ちます。
現役当時はスクワット、ベンチプレス、デッドリフトの合計記録で世界最高を連発し、「怪力の象徴」として知られました。
ハトフィルド (Fred Hatfield) – アメリカのパワーリフターで愛称は「Dr. Squat」。1987年に45歳にして歴史上初めてスクワットで公式1,000ポンド(約453.6kg)を成功させた人物です(※非公式では1984年にリー・モランが1003ポンドを成功)。
ハトフィルドは科学的トレーニング理論の普及にも努め、著書を通じてピリオダイゼーションや瞬発力トレーニングの重要性を説きました。
イェツ (Andrey Malanichev) – ロシアのスーパーヘビー級選手。2010年代に装備無し(ラップのみ)で世界最高の合計記録を度々更新し、「史上最強」と称された選手です。
2016年には合計1,140kg(スクワット455kg・ベンチ260kg・デッド425kg)という当時のギア無し世界記録を樹立しました。
レイ・ウィリアムズ (Ray Williams) – アメリカの現役スーパーヘビー級選手。2010年代からノーギアパワーリフティングの象徴的存在で、2017年に公式大会で初めてスクワット490kg(1,080ポンド)という圧倒的記録を達成しました。
2019年のArnold競技会では490kgのスクワットに成功し、これは史上最も重い生身でのスクワット試技の一つとなりました。彼はスクワットのみならずトータル(合計)でも1,110kg超をマークし、現在のRAW種目記録の上限を押し広げています。
女子選手では、アメリカのビッキー・ベンソンが1970年代に女性初の400ポンド(181kg)スクワットを達成するなど黎明期を牽引し、1990年代以降はリンダ・ショーバーやベッキー・リーチらが活躍しました。
2000年代に入り装備の進歩もあって女性でも合計600kgを超える選手が現れ、ベッカ・スワンソン (Becca Swanson)はマルチプライながら女性唯一の800ポンドスクワット・600ポンドベンチプレス・700ポンドデッドリフトの偉業を成し遂げ、「世界最強女子」と呼ばれました。
近年はノーギア部門での女子記録も大幅に向上し、例えば47kg級の陳薇玲(チェン・ウェイリン、台湾)はトータル410kg超を記録、63kg級では2022年にフランスのリヤ・バボワルが地元大会で地震のような現象を起こした(スクワット232.5kg世界記録など)ことも話題になりました。
世界記録の推移を振り返ると、1960年代にはスクワットは300kg台前半が最高とされましたが、ステロイドの蔓延やサポートスーツ導入で1970年代にはコール(Jon Cole)らが400kgに迫り、1984年にリー・モランが公式に初の455kg(1003ポンド)を達成しました。
その後、装備の進歩したマルチプライ部門では記録がさらに伸び、現在ではダニエル・ベルがスーツ・ラップ装着で500kg超えを達成しています。
ベンチプレスは、1960年代にテリー・パデューが227kg(500ポンド)を初めて挙上して以来、記録更新が続きました。1985年にテッド・アーシディが320kg(705ポンド)を挙げて世界初の700ポンド超えを成し遂げ、シャツ装着の普及で2000年代にはジム・ウィリアムズやジーン・リチラックが360kg台、さらに2000年代中盤にはライアン・ケネリーが487.5kg、現在ではジミー・コルブがエクストリームなシャツ使用ながら612kgという桁外れの重量を挙げています。
一方、ノーギアベンチプレス記録は長らく335kg(2015年、キリル・サリチェフ)でしたが、2021年にアメリカのジュリアス・マドックスが355kg(782ポンド)を公式に成功させ更新しました。
デッドリフトは、1960年代にニール・ウィロックらが317.5kg(700ポンド)台を挙げ、1980年代にドoyle・ケネディが402.5kg(887ポンド)を記録、そして2006年にイギリスのアンディ・ボルトンが史上初の455kg(1,000ポンド)デッドリフトを達成しました。
その後、ストロングマン競技会ではありますが2016年にエディ・ホールが500kgという前人未踏の重量を引き(ストラップ使用)世界を驚かせました。
パワーリフティング公式の場でも、2011年にアイスランドのベネディクト・マグヌソンが460kgをノーギアで引き当時の記録を更新しています。
現在、パワーリフティング競技における人類最重量挙上はスクワット約590kg(装備あり)、ベンチプレス約500kg(装備あり)、デッドリフト460kg台(装備なし)といった領域に達しており、年々わずかずつ更新が狙われています。
日本の著名選手では先述の因幡英昭の他、男子では59kg級の木下典明や66kg級の山本俊樹など各階級で世界選手権優勝者を輩出しています。
女子では52kg級の佐竹信子が1980年代に世界記録を打ち立て、近年では72kg級の田村直美や63kg級の八木茂子らが世界トップクラスの実績を残しています。
日本記録も年々向上しており、男子では74kg級でトータル800kg超、93kg級で900kg超、女子でも57kg級でトータル400kg近くに達する選手が現れています。今後も科学的トレーニングの浸透と競技人口の拡大により、記録の更新と新たなスター選手の登場が期待されます。
<引用文献・参考資料>
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国際パワーリフティング連盟(IPF)公式サイト「History of the IPF」ほか
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笹川スポーツ財団「スポーツ辞典 パワーリフティング」ほか
-
Titan Fitness “Powerlifting vs. Strongman: 12 Differences You Need to Know”ほか
-
BarBend “The Thrilling History of the First 1,000-Pound Squat”、Ray Williams 490kg Squat 記事
-
Reddit r/powerlifting (因幡英昭選手に関する言及)
-
Colquhoun et al. (2018) “Training volume, not frequency, indicative of maximal strength adaptations”
-
Prestes et al. (2009) “Comparison between linear and daily undulating periodized resistance training”
-
Rhea et al. (2003) “A meta-analysis to determine the dose response for strength development”
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その他、各種パワーリフティング関連文献・データベース等






